ご祭神

主祭神 天照日大御神(アマテラスヒノ オオミカミ)

副祭神として・天津御祖大神 ・ 八柱皇大神 ・ 合祀諸々大神  ・武田信勝公御霊

主祭神である天照日大御神と五色神について
天照日大御神は、飛騨を発祥とする日(ヒノカミ)として、この高知県の中央の山間で信仰の対象として祀られて来ました。
大元の造化の神で「祖神様」であり、御日様をご神体として奉斎信仰いたします。

また、主祭神の他の呼び方として、天照日大神(アマテラスヒノ オオカミ)、日の神(ヒノカミ)、天御光太陽貴王日大光日大神(アメノミヒカリ オオヒナカキ オウヒオオテルヒノ オオカミ)などがあります。

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歴代の大崎八幡宮の宮司がこの信仰を受け継いできました。初代宮司は甲斐上源勝貞と古文書にあり、諏訪の神官であったという事が記されております。信仰の始まりはもっと古いとも云われております。
天照日大御神の御姿は「日」です。ヒノカミ と古くから伝えられております。
「日は陰陽五行のかたまりである」といわれており、「日(ヒ)」は総ての根源という意味を持っております。

」は、現代人の思い浮かぶ太陽のことのみを言っているのではなく、以下の7大力の集合体です。太陽からあふれる陰陽五行のイメージ

  1. 太陽大御神(陽) タイヨウノオオミカミ
  2. 太陰大御神(陰) タイインノオオミカミ
  3. 木産大御神(五色神)青、緑 イキムスビノオオミカミ
  4. 火産大御神(五色神)赤   ホムスビノオオミカミ
  5. 土産大御神(五色神)黄   ハニムスビノオオミカミ
  6. 金産大御神(五色神)白   カネムスビノオオミカミ
  7. 水産大御神(五色神)黒   ミズムスビノオオミカミ

上記の7つの神様の集合体が「天照日大御神」 アマテラスヒノオオミカミ とされております。
教祖は、「日は日界にあらず、陰陽五行の七大力のかたまりである」と申しております。

●天津御祖大神(アマツミオヤノオオカミ)※副祭神

高天原を司る神で、天下の萬霊を守護する18柱であり、遠津祖緒御霊神達を守護する。
一、天之御主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)
一、高皇産霊大神(タカミムスビノオオカミ)(陽)
一、神産霊大神(カミムスビノオオカミ)(陰)
一、宇麻志阿志訶比彦遅大神(ウマシカシカビヒコジノオオカミ)
一、天常立大神(アメトコタチノオオカミ)
一、国常立大神(クニトコタチノオオカミ)
一、豊雲野大神(トヨクモノオオカミ)
一、面足大神(オモタルノオオカミ)
一、綾惶根大神(アヤカシコネノオオカミ)
一、宇比遅爾大神(ウヒジニノオオカミ)
一、須比遅爾大神(スヒジニノオオカミ)
一、大戸乃遅大神(オオトノジノオオカミ)
一、大戸乃辧大神(オオトノベノオオカミ)
一、角材大神(カクザイノオオカミ)
一、活材大神(カツザイノオオカミ)
一、伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)(祖)
一、伊邪那美大神(イザナミノオオカミ)(祖)
一、天照皇大神(宮)

●八柱皇大神(ヤハシラスメオオカミ)※副祭神

長生教の柱神として祀られた神々。
一、金峯大神(キンプノオオカミ)(大天久命神)
二、石鎚大神(イシヅチノオオカミ)(寿命長久・罪障消滅)
三、武速素戔嗚男大神(タケハヤスサノオノオオカミ)(悪病除神・延命長久)
四、大穴牟遅大神(オオナムチノオオカミ)(大国主大神)
五、少彦名大神(スクナヒコナノオオカミ)(医薬の神)
六、興玉大神(トヨタマノオオカミ)(猿田彦大神・死返しの神)
七、淡島大神(アワシマノオオカミ)(縁結びの神・下の病神)
八、大気津姫大神(オオゲツヒメノオオカミ)(五穀味津物祖神)

●合祀諸大神(アワセマツルモロモロノオオカミ)※副祭神

右の神殿にて天下の自然を守護する18柱の神々。
一、大海津見大神 二、久々能智大神 三、大山祇大神 四、火具土大神 五、金山彦大神 六、埴山姫大神 七、水速女大神 八、豊受姫大神 九、雷大神 十、住吉大神 十一、雨司大神 十二、辰王大神 十三、琴平大神 十四、風司大神 十五、稲倉魂大神 十六、保食大神 十七、祓戸皇大神 十八、大宮姫大神
左の神殿にて天下の人々を守護する18柱の神々。
一、饒速日大神 二、八重事代主大神 三、手力男大神 四、思兼大神 五、宇寿女大神 六、龍王大神 七、高王大神 八、秋葉大神 九、經津主大神 十.宿根大神 十一、武御雷大神 十二、太玉大神 十三、七夕大神 十四、子安大神 十五、門大神 十六、塞座三柱大神 十七、竈大神 十八、八百万大神
■教祖が上記と合わせて奉鎮祭した神々
厠掌智大神、天蟇大神、幸玉姫大神、白王大明神、大多比大龍王大神、日本武大神、大若宮右京八幡大神

●武田信勝公御霊(タケダノブカツコウノミタマ)

武田勝頼(大崎玄蕃)の嫡男を祖霊神の先頭に祀る。武田勝頼に関しては、大崎八幡宮で祭神となっておるため、長生教では勝頼の子孫の御霊を弔う思いから信勝(大崎五郎衛門)を祀ったとされている。
なにゆえに、甲斐の武田を祀るのかということに関しては、土佐には武田勝頼が落ち延び人生の再起をなし、さらには大阪夏の陣で戦国の時代を終わらせる働きをし、この仁淀川町大崎で最後を迎えたという伝承が残っております。

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