玄蕃祭りは疫病鎮めの霊験を持っている。

今日はふと大﨑八幡宮で玄蕃さまを拝みました。わざわざ行ったのではなく、週一でここに私はおります。

感染防止のため、関係神社の行事は全て中止しております。
理由は、玄蕃様を祀ると疫病がたちまち消えるという言い伝えがあるから、祭日(旧6月15日)でないにも関わらず、玄蕃祭を1人でやってみました。で、スッキリしました。

後は、文献からの引用など長いので、読んでみたい人だけw読んでみてね。めっちゃ長いから。

病鎮めの霊験が玄蕃祭と踊りにはあります。歴史が新しい順に紹介すると、、佐川町史を要約すると↓

高知県の佐川町でも明治期にコレラの大流行で、以来、玄蕃おどりで悪病退散(祈)として行ってきた。との事です。

寛永19年(1642年)から20年にかけて、諸方に黒風という疫病が流行し多くの方々が亡くなりました。 この時に山内氏の家臣であり佐川の主である、深尾重昌がこれを憂い、家臣五十名を従えて御獄山の山守小田信白方へ登駕(行くこと)して、山守小田信白方の邸に斎殿(神様を祀る場所)を設け、7日7夜に渡り通夜(夜どおし行うこと)する上、疫病が領内に入らないように祈願され、且つその解願として永く吾領内に於いて玄蕃踊りを奉納すると誓われました。
昔も現在も、疫病鎮めの祭祀と玄蕃踊りは一体で行われております。

↓戦国時代、時期未詳↓

玄蕃之丞定行は、文武両道に秀でた武人で、武田信玄に仕え、たいへんな戦功により、この信濃の桔梗ヶ原(ききょうがはら)一円を治めることになった。
ところが玄蕃之丞定行が没して後、この地方一帯に疫病が流行し、また原因不明の火災が続発、村人を不安におとしいれた。
その時、信玄が通りかかったた旅の僧におうかがいをたてたところ、村上玄蕃之丞定行を祭神として祀れば、すべての不安はのぞかれるということであった。
そこで、村人はこの九里巾に神社を建て、定行を祀ったところ、たちまち平穏な里をとりもどすことができた。玄蕃祭りが疫病を鎮める祈祷として定着をしたとのことです。

■玄蕃祭のやりかた。
太鼓をたたきながら、
(出し)向えの樅(もみ)の木は何する樅の木?
(付け)来る殿を待ちかねて腰をもむもむの木
こういうのを繰り返します。
この質疑形式にも思える掛け合いの歌は、念仏の唱和に当たります。
大念仏の唱和に(出し)と(受け)があります、
(出し)「南無阿弥陀仏」と曲節をつけて唱えると
(受け)「・・・・・・」と大勢が復唱する
知ってる人は知ってますよねー。
で、現在は7日7晩もやりません。15分ぐらいで終わります。

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